妲己
家に『小説十八史略』なる本があったのでちょっと読んでみた
「天は是か非か?」という章
登場人物は『封神演義』に出てくる人たちだったので何となくイメージはついた
『封神演義』もマンガの方だし最初しか知らないけど
話は短くまとめられているけど、妲己の最期に不意に胸を打たれた
あまり本を読んで感動したことなかったし、さらにほんの数ページの内容
それをまさかドラマチックに感じるとはな
周公(変換で出てこないんですけど)が妲己を救いたがっていたのも少し意外に思った
周公という人物は賢く長期的戦略を立てるのに長けているという説明だけで
妲己が紂王を裏から操るようになった時も「計画通り」と静かに笑っている感じだったから
完全に妲己のことは道具として扱っているのかと思っていた
この本の最初に「中国史は人間の物語である」というようなことが書かれていた
要は登場人物が人間くささを持っているみたいなことで、そもそも神話もそんな知らないから「人間くささ」ってなんじゃ?と思ったが、周公が妲己を救おうとしたのがそういうことなのかなぁ
周公は役目を終えたが民に憎まれてしまった妲己、自分がそうなるよう仕向けた何も知らない妲己を救いたい
今にも処刑されるという緊迫した状況で妲己は「あたし、りっぱに勤めたでしょう?」と周公に告げる
周公はそこで妲己は全て知っていたのだと愕然とする・・・
私はここで、「お、これなら妲己救えるじゃん」と思ったが
周公は妲己の処刑を命じた
予想を裏切られたことと妲己と周公の二人の感情を考えたら、感動とも悲しさとも言えない気持ちになった
こういうのが切ないっていうのかなぁ
妲己は自分が役目を終えたと分かっているし、処刑される覚悟もできていたのだろう
周公は妲己を救いたいけど、何か上手く言えないけど、処刑するしかない状況で救う方法が思いつかず、妲己の覚悟を尊重・・・役目を全うさせる・・・とかって言うとそれはまた違うけど、何だろう処刑せざるを得なくて、許された気持ちにはならないけど・・・
無理だわ、難しい、説明できません
妲己の最期の言葉があるのとないのとじゃ違うよな
妲己が何も言わずにそのまま処刑された方がまだ周公の気は楽だったかもしれない
けどそれじゃいけない気がするというか、違うというか
妲己の叫びが余韻を出してて、ここのシーンでちょっと立ち止まった
最後に明かされる真実や予想を裏切られる展開
逆説的にとれる表現 救われない話
自分はきっとこういうのが好きだな
一方「天は是か非か?」という主題についてはよく分からんかった