旅する雲 未知なる空

こんにちは。考えている事をダラダラと綴っています。基本日記。自然体。

消えゆく煙草の煙と心のレンズ

以前からちょくちょく書いていたが、私は煙草が嫌いだ

煙草が嫌いで喫煙者が嫌いだ

嫌いだった

 

どういうわけか、近頃急にそこまで嫌いではなくなってきた

煙草に対しては複雑な感情を抱いている

といっても深刻でも趣きのあるものでもない

 

小さい頃は両親共に喫煙者だった

母親の、お風呂上りに換気扇の近くで脚を組みながら吸っていた姿が、記憶の片隅にある

幻だったのかと思うほど薄っすらとしか思い出せないが、確かに吸っていたはずだ

しかし仕事が忙しいからか、気が付くと吸わなくなっていた

おそらく自分が小学校低学年くらいまでの時期だと思う

 

うちの母親はお酒もめったに飲まない

それも仕事に影響が出るからだ

禁煙は難しいなどというが、母親を見るとそうでもない気もする

そこまで依存していなかったのかもしれない

 

母親が煙草を吸う姿はなかなかクールだった

いや、記憶が曖昧なので補正が入っているかもしれないな

気だるげに淡々と煙を吐く

昔から母親に対しては疲れたイメージが染みついている

(小さい頃母親に宛てた手紙で「いつも病気のおかあさんへ」と書いたほど)

その頃自分は煙草が嫌いとは思っていなかった

好きも嫌いもなかったと思う、ただ吸っているなとしか映っていなかった

 

中学生の時、部活の先輩たちが煙草を吸っていた

いわゆるヤンキーである

あまり悪さはしていなかったと思う、少なくとも普通の後輩には

悪さをするというよりアホだった

それはさておき、その頃も煙草は嫌っていなかった

正直なところ、ワルに憧れていたというほどではないが、ヤンキーとも仲が良いとか、そういうものに抵抗がない自分に若干酔っていた

未成年者の喫煙飲酒の影響は多少は知っていたと思う

成長が阻害されるという認識はあった、だからヤンキーってチビなんだなーとか思っていた

しかし、ちょっと吸ってみたいなと思わないでもなかった

もう少しヤンキー達と仲良くなっていたら手を出していただろう

今思い出したが、ヤンキー達はグラウンドや酷い時には廊下に痰を吐いていた

先輩がやるもんだからそういうもんだと妙な風潮ができていたんだが、あれは本当に嫌いだった

改めて考えると、あれは喫煙の影響だったのかもしれない

当時sevenstarという銘柄だけ、なぜか覚えていたが、やはりヤンキー御用達か

 

高校生に上がると、煙草とは無縁の生活を送り始める

中1の時こそヤンキーに3割くらいなりかけていたが、同級のヤンキーもどきの性格が悪くって付き合ってられなくなった

校内では一緒にアホをやったりやらなかったりしたが、放課後は一切関わらず、真面目とは言えないがつまらん成績優秀な生徒になっていき、進学校に入学したのだ

だから正確には中2あたりから煙草からは遠ざかっていたわけだな

 

高校では周りで喫煙している人はいなかった

部活にそれなりに本気で取り組んでいたし、そうでなければ勉強しているような子が多かった

休み時間に教室の窓から教師が吸っているのを、あの人吸うんだと見下ろすことがごくたまにあったくらいで、煙草という言葉すらほとんど出てこなかった

だから逆に煙草について話した時のことは覚えている

この頃から父親の喫煙に苛立っていたように思う

高校時代と大学時代が混ざって正確な時期が分からないけど、部活の先輩とした会話の記憶から推測する

恐らく自分が「父親の煙草がウザイからやめてほしい」みたいなことを先輩に話したんだと思う

それに対して自分が覚えている先輩の返答は「煙草吸って早死にしてくれた方が社会的にはありがたいよね」というようなものだ

先輩は笑いながら言っていた

自分の父親が死ねと言われているようなものなのに、そこはどうでもよかった

だって自分も「いっそ早く死んでくれ」と思っていたから、でも死なないから苛立つのだ

まぁどうでもいいとは言いつつ、さすがに他人の親の死を願うような発言をする先輩には多少面食らった

 

そういえば小学生の頃、たばこ税増税のニュースを見て、幼い心で父親に禁煙を促したことがあった

電子タバコもこの頃出てきて、その話も持ちかけてみた

父親は要するに嫌だということを笑いながら言っていた

小学生の頃は兄弟と一緒にからかい半分で「保険金ほしいからお父さん60までに死んでよ~」みたいなことも言っていた

嫌な子供である

父親の返答は覚えていないが笑っていたと思う

 

それが高校の時は真面目に「たばこやめろ」もしくは「死んでくれ」と思っていた

先も言ったように正確な時期は覚えていないが、恐らくこの頃からなのだろう

父親の喫煙のタイミングと自分の行動が被るようになったのだ

例えば、学校から帰ってきて洗面所で手洗いうがいをするタイミングで、父親が隣の台所の換気扇の下で煙草を吸い始める、など

父親を嫌いになったのはこの頃だろうか

 

「俺も気を遣って吸ってるんだよ」はいつの言葉だったか

あんたがそのつもりでも、こっちは迷惑してるんだよ

 

父親の事は昔から別に好きではなかった、覚えているのは旅行先のプールで父親に抱えられながらウォータースライダーを下るのが何とも気持ち悪くて嫌だったこと

煙草の話から自分の家庭環境の話になりそうなので詳しくは書かないが、とにかく父親のことはよく分からないし、知ろうともしないし、特に好きも嫌いもなかった

成長するにつれ端々でまともじゃないなと感じて、どんどん関わらなくなっていった

 

しかし高3の部活を引退してから、私の家にいる時間が長くなり、謎に父親と長時間会話している時期があった

勉強しなきゃいけないし(時間があってもしないんだけど)、それほど楽しいわけでもなかった

謎だなーと思いつつ、それが習慣になりかけていた

楽しいわけでもないと言ったが、和やかな雰囲気での会話だった

その頃はその記憶ばかりで、煙草のことが思い出せない

秋くらいの事だったと思う

 

そして大学に入学する

入学後しばらくは覚えていない

1年生の時は、自分自身が部活と勉強で忙しかったこと、肌荒れがとんでもなく悪化していたことしか頭に残っていない

部活を辞め、受験生の兄弟の分も家事をするようになった2年生の時に、本気で父親の死を願った

父親の死を願ったし、家を出たくて大学の講義中に策を講じていた(具体的に調べたりしないのが自分の愚からしいところ)

この年に父親は定年し、家にいる時間が増え、必然的に私の煙に悩まされる時間が増えたのだ

確かこの時期の私は、全面的に嫌煙の感情を出していたと思う

それに呼応して(他にも要因はあるが)父親もイライラしていた、とにかく物音がひどかった

ドアを閉める時、歩く時、そのうるささに私も子供だったのでいちいち殺意を抱いていた

時には自分も、目には目を歯には歯をで、ひどく物音を立てていた

その後一回、大声で言い争いをし、なんやかんやあって父親も落ち着いて今に至る

 

今の父親は前より換気扇の近くで吸っているのか、漏れてくる煙は若干減ったような気もする

それでも朝の洗顔後やお風呂上りに吸いに来られるとイラっとくる

あと10分我慢できない?なんでこのタイミングで?

自分の部屋の窓を開けると、換気扇を通して出てくる煙が中に入ってくるので開けられない

まぁクーラー代がかさんでも払うのは父親だからほっとく

 

去年から最近までは本当に嫌煙家だった

それでよくパチンコ屋でバイトをしているなと自分でもおかしくなる

煙草はもちろん嫌だけど、喫煙者の態度が嫌なのだ

煙草が嫌いなのか、父親が嫌いなのか、どちらも嫌いなのか

煙草を吸うからその人が嫌いなのか、嫌いな人が吸うから嫌なのか

 

喫煙者の主張は全部唾棄できるものと思う

無意味に紙切れに書きだしたこともある

メリットなんてほぼないし、それどころか他人に迷惑すらかけている

二十歳を超えて友人たちが吸い出したら、容赦なく嫌がった、暴言も吐いた

 

それがどうして許せるようになったのか

一つは嫌煙家だからといってイライラして暴言を吐くのは、自分が喫煙者に対して嫌悪しているところと同じであること

ネットで見た「おだてて狭い喫煙所に閉じ込めておけば、高い税金納めて早死にする奴隷のできあがり」という文言

 

これだけなら冒頭に述べた複雑な感情はどこに行ったという話だが、

もう一つ、自分も吸ってみたいということだ

大人の嗜み、かっこよさ渋さに対する憧れ、単なる好奇心

フィクションや煙の届かない場所での喫煙はむしろ好きな部類だ

 

バイト先で煙草を吸っていたひとつ上の女の先輩

その歳で、しかも女の人で吸うのかと驚いたが、段々とかっこいいと感じるようになった

煙をくゆらす美人の、なんと絵になることよ

その人から煙草の匂いはしなかったような気もするが、まぁパチ屋だし周囲に煙草の匂いが充満しているから実際のところは分からない

同い年の男はなんでかかっこいいと思わない

煙草は値上がりしていく一方、世の中から嫌われていく一方でなぜ吸い始めるんだ?

それを分かってて吸ってるんだよな?煙たがられても自業自得だからな?バカだな

と、思う

 

でも愛煙家と嫌煙家だったら、嫌煙家の方が可愛いかも

嫌がっているの可愛いやん

これもフィクションに限りますかな

 

とにかく前のように喫煙者に強くあたることはない

むしろ一本もらってしまうかもな

私はいつかきっと煙草を吸うだろう

 

なお、歩きたばことポイ捨てを許すことはない